アイヌではじめてカムイユカラ(神謡)を文字化
 歴史に残る大惨事となった関東大震災の1か月前、大正12年8月に、東京の出版社から『アイヌ神謡集』という本が出版されました。この本は、アイヌの人たちの口承文芸であるカムイユカラ(神謡)を、アイヌ民族の知里幸恵が初めて文字化し、ローマ字で書いたアイヌ語に日本語の対訳が付いています。初版後も再版や復刻版で発行され、岩波文庫にも収録。初版から80年以上を経た今日まで読み継がれている名著です。近年話題を集めた『声に出して読みたい日本語』でも、『アイヌ神謡集』の一節が紹介されており、その美しい言葉が、今も多くの人の心をとらえています。

アイヌの少女と言語学者との出会い
 19歳で、この『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵は、明治36年登別市で生まれ、6歳から19歳まで叔母の住む旭川で暮らしました。幸恵には2人の弟がいますが、その一人知里真志保は室蘭中学から東大に進み、天才言語学者といわれる存在。そして幸恵は祖母からたくさんのアイヌの口承文芸を受け継いでいました。ある日、アイヌ語研究をしていた金田一京助が旭川の幸恵の家を訪れ、幸恵の言語能力の素晴らしさに驚きます。幸恵は、神謡を文字化し、日本語に訳しては金田一に送っていましたが、やがてそれらが『アイヌ神謡集』として出版することに決定。金田一の招きに応じて上京し、校正作業に没頭した幸恵ですが、校正をすっかりすませた後、本の発行を待たずに、心臓麻痺で19歳の短い生涯を終えました。

銀の滴降る降るまわりに・・・
 短い一生の中で今なお宝石のような輝きを放ち続ける『アイヌ神謡集』を著した幸恵を偲んで、平成2年に知里幸恵文学碑が建てられました。場所はかつて幸恵の住んだ場所の近く、旭川市立北門中学校の校庭。製作したのは彫刻家の空 秋充(そら みつあき)氏。白御影石とさび御影石の碑には、『アイヌ神謡集』の有名な一節『銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに』という詩句やフクロウの神が彫り込まれています。幸恵の生まれた日である6月8日には、毎年、この場所で「知里幸恵生誕祭」が行われています。

記念館建設に向けて
 また、幸恵の姪に当たる知里むつみさんの主宰する「知里森舎」を中心に、幸恵の生まれ故郷である登別市に知里幸恵記念館を建設するための募金活動を展開しており、多くの方に協力を呼び掛けています。
・建設地   幸恵の生地(登別市登別本町2−36−1)
・目標金額 3000万以上
・加入者名 知里幸恵記念館建設募金
・口座番号 02740−0−16185(郵便振替)
・個人=1口1,000円以上、法人=1口10,000円以上 (何口でも結構です)
・募金委員会 代表 池澤夏樹
・世話人 代表 小野有五
・事務局  知里森舎(TEL.FAX 0143−83−3677)
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○旭川市立北門中学校
旭川市錦町15丁目
・ 0166-51-1431
○知里森舎
HP:http://chirishinsya.client.jp/index.html


昭和53年に発行された岩波文庫の『アイヌ神謡曲集』。
金田一京助の「知里幸恵さんのこと」、幸恵の弟である知里真志保の「神謡について」の文章も収められている。

 


利発だった幸恵は、優秀な成績で旭川の女子職業学校へ入学した。

 


大正11年、『アイヌ神謡集』の出版が決まり、上京した19歳の幸恵。
翌年の出版を待たずに、この年の9月に急逝した。

 


「知里幸恵文学碑」は、幸恵が住んでいた家の近く、旭川市立北門中学校の校庭に建つ。
毎年、幸恵の誕生日である6月8日には、碑の前で生誕祭が行われる。